和の匠探訪記記事

和の匠探訪記vol.5「醤油の匠」

匠の技に歴史あり。匠の腕に想いあり。和の逸品に匠の妥協なし。「和の匠探訪記」

醤油の匠

加納 誠 さん

加納誠6代目

  • (株)角長 6代目
  • 和歌山県有田郡湯浅町
  • 主要な生産品:醤油
  •  


400年以上の歴史を繋ぐ、角長の伝統製法
  湯浅駅を降りてしばらく歩くと古からの建造物が立ち並びます。今回訪れた場所は、醤油醸造の町としては全国で初めて、平成18年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された和歌山県の湯浅町です。
 ここは醸造業の発展に伴い江戸時代末期頃に開発された町だといいます。

湯浅駅
 和の逸品掘り出し隊が訪れた時には、今に残る伝統的な建造物を写生する多くの方たちがいました。そして一歩足を踏み入れれば、どこからともなく醤油の香りが漂ってきます。
 ここ湯浅こそ、日本が世界に誇る醤油(Soy-Sause)の発祥の地だといわれています。
 もともと湯浅は良質な水が豊富なことも、そのゆえんでしょう。

 今回は、ここ湯浅で最も歴史が古い天保12年(1841年)創業の老舗「角長(かどちょう)」代表取締役の加納誠さん(6代目)にお話を伺いました。朗らかで温かな雰囲気ながらも、職人としての気迫が伝わってきます。

 角長の歴史は、すなわち醤油の歴史といっても過言ではありません。加納さんに話を伺いながら、醤油のルーツと受け継がれてきた伝統製法に迫っていきます。

 角長の創業は天保12年と、今日まで170年以上にもおよぶ老舗です。そして創業者の加納長兵衛が奉公した、角屋右馬太郎が営む、湯浅で一、二を誇る醤油醸造業「角屋」の創業が、天正19年(1591年)というから今から400年以上も前になります。
角長外観
 その「角屋」が暖簾分けした大店は当時4軒ほどありましたが、今でも営んでいるのは「角長」ただ1軒です。いうなれば、400年前にはじまった「角屋」の醤油造りを角長の初代当主が学び、暖簾分けの後「角屋長兵衛」(角長)の屋号にて今日まで営んできた歳月を、伝統が受け継がれてきた一つの流れとしてとらえるならば、いまに伝わる「角長」の醤油の製法は、実に400年以上もの歴史を誇ることになります。

 醤油の歴史は今から750年前(鎌倉時代)に、高野山で修業をした禅僧の覚心(後の法燈国師)が宋(中国)より径山寺味噌(嘗味噌)の製法を伝えたことに始まります。この径山寺味噌が造られる過程において、瓜や茄子などの野菜から水分が出てきます。そうした、もろみから出る汁を溜めて食してみたところ、美味しいということで利用されたのが「湯浅の溜まり」といわれる醤(ひしお)であり、いまに伝わる「醤油」のはじまりだといわれています。
 そうした醤油の由来について加納さんは、「覚心が宋に渡るまでに、鎌倉三代将軍の源実朝や側近頭の葛山五郎景倫、そして実朝の母である尼御前政子との深い絆や心をつづる歴史の事実、壮大なロマンがあります。そういう先人たちの想いと、いま私たちが醤油を造っている想いとは同じです。ようするに人間関係とそれに伴う背景にある歴史を守りたいということです。受け継いできたものを、できるだけいいかたちで次の世代へ引き継いでいく、そういう想いです。それが根底にあるからこそ、今も昔ながらのやり方で造り続けています。もちろんそこには、湯浅の醤油の発祥の歴史というものも取り込んでゆきたい」と語ります。
 「日本のために何か持ち帰りたい」という想いで覚心がもたらした「径山寺味噌」という恵みは、「醤油」を誕生させ、やがてそれは日本が誇る調味料(Soy-Sause)として世界中で愛されるようになります。
 こうした醤油のルーツは観光案内などにも載っており、知る人も多い話です。しかし加納さんは、「ではなぜ覚心が宋に渡ったのかという先人たちの心を綴った歴史の事実、先人たちの軌跡」にも想いを馳せています。
 悟りを開いた法燈国師(覚心)が大切にした師の教えに「心すなわち仏なり、仏すなわち心なり、心も仏も一体のもの、いにしえにわたり今にわたる」があり、「いにしえにわたり今にわたる」ものを重んじ、「覚心をはじめとする先人たちの苦労に報いたい」という角長の心が、湯浅醤油の伝統をいまに伝えているのです。

受け継がれてきた歴史を残す、それが原動力
醤油の道看板
 醤油発祥の地といわれる湯浅についても、加納さんに伺ってみました。
 「湯浅は産業が少ない町ですが、それでも醸造業が盛んだった江戸時代には、92軒もの醤油蔵が並び、産業の根幹を成していました。それが次第に衰え、いまでは4軒ほどとなったため、醸造業の代わりに観光招致に力を入れています。また湯浅の歴史を活かす町づくりを目指した「歴史まちづくり法」に基づく計画が、3月には国から認定を受けました。そうしたことを全部ひっくるめ、町全体のかたちを地域の活性化に結び付けてゆきたい。例えばその中の一つの素材としての醤油や、それから私どものこの建物とか、いまも現存している昔ながらの醤油の造り方とか、そういうものを織り込んでいこうと、それがいまの町の方針なんです。地域と行政が一緒に歩んでいこうと。湯浅は人間もいいし、今まで培ってきたものをいいかたちで残していかなければならないという想いが根底にあります。何で醤油造りをやっているのかと聞かれれば、一番には先人から受け継いだ伝統文化、そういった歴史を残したい、それが原動力です」と語ります。
 各地で輝いている逸品に光を当てたいという私たちの想いには、受け継がれてきた伝統製品を多くの方に発信することによって、それを生み出してきた地域が活性化して欲しいとの願いが込められています。
角長職人蔵
 加納さんが昔ながらの伝統製法を大切にする心も、醤油を育んできた町、湯浅の発展を願う郷土愛と深く結びついています。
 その願いを一つのかたちにしたのが、「角長(民具館)職人蔵」です。
 職人蔵の由来には「蔵の中で汗水を垂らした職人たち、その人たちの智慧の結集である醤油民具は醤油屋の消滅と共に消えて行った。私たちはいずれ消えてゆく、器具のいくつかを個人で集め残すことが、昔の味とともに湯浅醤油職人の責任と思って努力した」とあり、観光客に無料解放しています。
  慶応2年(1866年)に建てられた80平方米の「仕込み蔵」には、先人たちの汗と苦労が染み込んだ数々の器具が並び、そこには100年の時空を超えた世界が拡がっていました。

「角長」の秘密に迫る―歴史の恵みが雨のように降り注ぐ
1、無二の財産・蔵つき酵母
角長仕込み蔵
 天保12年の創業当時から代々受け継がれてきた角長の「醸造蔵」には、ある秘密が隠されています。
 170年近く使い続けてきた吉野杉の木桶が眠る蔵には、天井はもちろん梁(はり)や壁、床、桶など至るところに、醤油の醸造に欠かすことのできない「酵母」が白く付着しています。その酵母菌の働きによって、角長の醤油の味が生み出されてきました。
 こうした「蔵つき酵母」を職人たちは、「歴史の恵みが雨のように降り注ぐ」と語りながら、大切に守り続けています。まさに角長ならではの歴史が培ってきた、かけがえのない財産(宝)であり、美味しさの秘密なのです。
 その「蔵つき酵母」には、こんなエピソードがあります。
 以前、蔵の屋根の一部が傷んで、その部分の梁から全て改修したことがあったそうです。すると修理した個所の下の桶だけが、うまく発酵しなかったといいます。そういった経験から、残りの部分を修理するときは、昔からの天井を残し、その上の部分だけを新しくしたところ、以前と全く変わらず発酵したそうです。
 角長の蔵に宿る「酵母菌」は代々角長を支え、その味を守り続けてきた、いわば守り神のような存在なのではないでしょうか。発酵という自然の恩恵によってもたらされるこの世界には、人々の祈りとともに宿る力が存在するようです。

2、歴史を重んじる、こだわりの素材
醤油の原料
 「鮎が清流を遡るが如く究極の醤油を求めてきた」という角長では、醤油を造り出す原材料も各地に探し求め、優良な材料を使っています。
 角長の醤油の原料は、大豆、小麦、塩のみ。化学調味料や着色料、カビ止め剤や保存料、アルコール添加物などは一切使用していません。
 特に大豆には、こだわりがあるといいます。大豆は江戸期から伝わる角長の文献『萬買帳』の記載にもとづき、岡山産の「美作(みまさか)大豆」を使い続けています。国産にして、その栽培地も創業江戸期と変わらぬままのこだわりようです。小麦は岐阜県産で、仕込みに使われる塩水の塩は、オーストラリア産の天日塩(自然塩)を用いています。
 一般的に濃口醤油」は大豆5割、小麦5割と言われますが、角長の醤油は大豆6割、小麦4割で造られます。
 そして「仕込み水」には名水「湯浅山田の水」が使われています。湯浅の町を少し山の方に上がると山田川の源流へ辿り着き、そこは上質な水で有名なのですが、とにかく景色が美しく、「蛍の名所」としても有名だそうです。醤油発祥の地として名高い湯浅は、「仕込み水」に必要な上質な水が豊富にあったことで、醤油造りが盛んになったといわれています。

3、代々伝わる木桶をそのままに
吉野杉の大樽
 角長の伝統製法の特長は、昔ながらの製造設備を今も使い続けているところにあります。創業当時の吉野杉の木桶(江戸桶)を、170年近く経ったいまなお使い続けているのです。
 ただそうした木桶を造れる職人は、少なくなってきているといいます。特に桶を束ねている箍(たが)を造れる職人が、ほとんどいないそうです。
 「しっかりしたところが無くなる」という意味で用いられる「箍が緩む」という言葉がありますが、こうした伝統食品を生産するために必要な容器を手がける職人が少なくなってきたこと自体、日本人の箍が緩んでしまった証かもしれません。角長が守る伝統には、そうした深い意味が込められているのです。

4、昔ながらの「寒仕込み」と「手づくり」を守りぬく
角長の職人
 角長では冬季のみの「寒仕込み」を頑に守り、創業以来変わることのない昔ながらの「手づくり」を、いまも続けています。「美味しい醤油を造ること、それは昔の元へ元へと戻るやり方の継続だった」といいます。
 早く大量にということでの機械化は決してせず、「大量生産では味わえない天然の風味と、柔らかな香り琥珀色の色とつや、手づくりの丹精と約一年半の長期にわたる紀州の風土が育んだ濃厚で優しい味を多くの方にご賞味いただきたい」、それが角長の願いです。
 これだけ全てものが機械化され、さらなる効率化に向け走り続ける現代において、「手づくり」を守り通すことの難しさとそうした方々の想いに、心寄せてみてはどうでしょうか。日本はもうそれほど急がなくてもよいのかもしれませんし、それが自然な日本本来の姿なのではないでしょうか。

先人たちの味覚を呼び醒ましたい―700年前の醤油を再現
 歴史伝統文化を重んじてきた角長の5代目当主の加納長兵衛さんと6代目の加納誠さんが、「日本人の味覚を呼び醒ましたい」という職人魂で臨んだ大事業があります。それが歴史的な背景を忠実に再現し、700年前(鎌倉・室町時代)の醤油(湯浅たまり)を現代に甦らせることです。
角長の過去帳
 その「濁り醤」誕生について加納さんに伺いました。「試行錯誤を繰り返しながら、完成までに30年ほどかかりました。酵母の影響で濁った色をしているので、それなら『濁り醤(にごりびしお)』と名付けようということで命名しました。恐らく日本人が一番好きな味と香り」と語ります。
 「濁り醤」は圧搾(圧力を加え搾る)や保存のために酵母菌・麹菌を殺してしまう加熱処理もせず、2年以上丹念に熟成させながら余分な手は加えない、天然発酵で自然のままに仕上げています。そうして麹が原料を分解してできた純粋な上澄み(汁)だけを取り出した、酵母が生きている完全「生」しぼりの醤油を誕生させました。
 様々なものが入り混じった醤油の味に慣れ親しんだ現代人にとって、700年前の風味を醸し出す「濁り醤」の味にすぐ馴染めるかどうか、それは個人の味覚にもよるでしょう。しかしながら、その深い味わいを覚えてしまうと虜となり、手放せなくなってしまうのがこの「濁り醤」の特長なのです。なぜなら加納さんが語るように、私たちの先祖である先人たちが長い間愛してきた、日本人の味だからです。角長の匠が「濁り醤」を誕生させた願い。それこそ、現代の「日本人の味覚を呼び醒ます」ことに他ならないのです。
 その「濁り醤」を厳選された大桶で、もろみをさらに3年間じっくり熟成させたのが「濁り醤 匠」です。古の頃の真のひしおを求め、遂に辿りついた究極の品だといえます。これぞまさに「和の逸品」と呼ぶに相応しい深い味わいと芳醇な香りが醸し出されています。これは「角長」が創業170年を記念し完成させた、いわば「角長」の誇りです。
 この一滴には、先人の想い、職人の魂が詰まっており、その一滴一滴を味わいながら、伝統を守り支えてくれた先人への感謝と我が国の歴史のロマンに、想いを馳せてみるのはいかがでしょうか。また違った味わいが溢れてきますよ。

醤油がおかず、日本人の感性への挑戦!
 最後に加納さんに、今後の展望や醤油造りにかける想いを伺いました。
 「うちには『一業に徹せよ』という家訓があります。仕込み蔵やこの建物、製造設備など、受け継がれてきたものを頑なに守る、これをやり遂げるしかありません。そして『手づくり』で美味しいお醤油をお客さまにお届けし信用していただく、それこそが『生き残る道』だと思います。
 ただそこにヘルス(健康)を取り入れたい。添加物の無い自然なもの、それでいて美味しいものを。昔から言っているんですが、あつあつのご飯に『濁り醤』をサッとかけると匂いがプーンとする、それをそのまま食べれるような美味しい醤油を造りたい。
 以前テレビの取材を受けたとき、もろみを昔ながらの絞り袋に入れポタポタ落ちてくる汁をすくって、それをできあがったご飯にかけて食べてもらったらゲストが、『これは旨い!』って驚いていましたが、そういう醤油が造れるのではないかと。 日本人は味覚、臭覚、視覚など感性が優れていますから、プ~ンとした香りがあって、お米の湯気がパッと立って、それを口に運んだ時に美味しいと感じられるような想いを見出してくれるのではないかと思います。ただなかなか、ご飯に醤油だけをかけ食べてみてくださいとまではいえません。
 お米(ご飯)にも味がありますから、おかずは無しで、醤油の色合いから臭いから全部をひっくるめた総合的な味わいです。卵かけご飯は美味しいに決まっています、卵があるんですから。どんな醤油でも合うと思います。そうではなく、醤油そのものがおかず、そこにヘルスを取り入れ、健康的なもを造りたい。私どもの醤油は無添加なので、そうした点はちゃんとクリアしています」。
 「醤油だけでご飯を食べる」という独特な発想からは、伝統を守りつつも、常に高みを目指し続ける加納さんの匠の心意気と、日本人の感性を信じて止まない想いがひしひしと伝わってきます。
 ぜひ皆さんも、受け継がれてきた伝統によって角長が鎌倉・室町時代の醤油を忠実に再現した本格生醤油「濁り醤」を、炊き立ての熱々のご飯にかけ召し上がってみてはいかがでしょうか。「濁り醤」の醸し出す色合い、香り、そして風味が、皆さんの味覚を呼ぼ醒ましてくれるに違いありません。
(記事:洋一)


匠の技に歴史あり、匠の腕に想いあり、和の逸品に匠の妥協なし

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