和の匠探訪記記事

和の匠探訪記vol.5「醤油の匠」

匠の技に歴史あり。匠の腕に想いあり。和の逸品に匠の妥協なし。「和の匠探訪記」

醤油の匠

加納 誠 さん

加納誠6代目

  • (株)角長 6代目
  • 和歌山県有田郡湯浅町
  • 主要な生産品:醤油
  •  


400年以上の歴史を繋ぐ、角長の伝統製法
  湯浅駅を降りてしばらく歩くと古からの建造物が立ち並びます。今回訪れた場所は、醤油醸造の町としては全国で初めて、平成18年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された和歌山県の湯浅町です。
 ここは醸造業の発展に伴い江戸時代末期頃に開発された町だといいます。

湯浅駅
 和の逸品掘り出し隊が訪れた時には、今に残る伝統的な建造物を写生する多くの方たちがいました。そして一歩足を踏み入れれば、どこからともなく醤油の香りが漂ってきます。
 ここ湯浅こそ、日本が世界に誇る醤油(Soy-Sause)の発祥の地だといわれています。
 もともと湯浅は良質な水が豊富なことも、そのゆえんでしょう。

 今回は、ここ湯浅で最も歴史が古い天保12年(1841年)創業の老舗「角長(かどちょう)」代表取締役の加納誠さん(6代目)にお話を伺いました。朗らかで温かな雰囲気ながらも、職人としての気迫が伝わってきます。

 角長の歴史は、すなわち醤油の歴史といっても過言ではありません。加納さんに話を伺いながら、醤油のルーツと受け継がれてきた伝統製法に迫っていきます。

 角長の創業は天保12年と、今日まで170年以上にもおよぶ老舗です。そして創業者の加納長兵衛が奉公した、角屋右馬太郎が営む、湯浅で一、二を誇る醤油醸造業「角屋」の創業が、天正19年(1591年)というから今から400年以上も前になります。
角長外観
 その「角屋」が暖簾分けした大店は当時4軒ほどありましたが、今でも営んでいるのは「角長」ただ1軒です。いうなれば、400年前にはじまった「角屋」の醤油造りを角長の初代当主が学び、暖簾分けの後「角屋長兵衛」(角長)の屋号にて今日まで営んできた歳月を、伝統が受け継がれてきた一つの流れとしてとらえるならば、いまに伝わる「角長」の醤油の製法は、実に400年以上もの歴史を誇ることになります。

 醤油の歴史は今から750年前(鎌倉時代)に、高野山で修業をした禅僧の覚心(後の法燈国師)が宋(中国)より径山寺味噌(嘗味噌)の製法を伝えたことに始まります。この径山寺味噌が造られる過程において、瓜や茄子などの野菜から水分が出てきます。そうした、もろみから出る汁を溜めて食してみたところ、美味しいということで利用されたのが「湯浅の溜まり」といわれる醤(ひしお)であり、いまに伝わる「醤油」のはじまりだといわれています。
 そうした醤油の由来について加納さんは、「覚心が宋に渡るまでに、鎌倉三代将軍の源実朝や側近頭の葛山五郎景倫、そして実朝の母である尼御前政子との深い絆や心をつづる歴史の事実、壮大なロマンがあります。そういう先人たちの想いと、いま私たちが醤油を造っている想いとは同じです。ようするに人間関係とそれに伴う背景にある歴史を守りたいということです。受け継いできたものを、できるだけいいかたちで次の世代へ引き継いでいく、そういう想いです。それが根底にあるからこそ、今も昔ながらのやり方で造り続けています。もちろんそこには、湯浅の醤油の発祥の歴史というものも取り込んでゆきたい」と語ります。
 「日本のために何か持ち帰りたい」という想いで覚心がもたらした「径山寺味噌」という恵みは、「醤油」を誕生させ、やがてそれは日本が誇る調味料(Soy-Sause)として世界中で愛されるようになります。
 こうした醤油のルーツは観光案内などにも載っており、知る人も多い話です。しかし加納さんは、「ではなぜ覚心が宋に渡ったのかという先人たちの心を綴った歴史の事実、先人たちの軌跡」にも想いを馳せています。
 悟りを開いた法燈国師(覚心)が大切にした師の教えに「心すなわち仏なり、仏すなわち心なり、心も仏も一体のもの、いにしえにわたり今にわたる」があり、「いにしえにわたり今にわたる」ものを重んじ、「覚心をはじめとする先人たちの苦労に報いたい」という角長の心が、湯浅醤油の伝統をいまに伝えているのです。

受け継がれてきた歴史を残す、それが原動力
醤油の道看板
 醤油発祥の地といわれる湯浅についても、加納さんに伺ってみました。
 「湯浅は産業が少ない町ですが、それでも醸造業が盛んだった江戸時代には、92軒もの醤油蔵が並び、産業の根幹を成していました。それが次第に衰え、いまでは4軒ほどとなったため、醸造業の代わりに観光招致に力を入れています。また湯浅の歴史を活かす町づくりを目指した「歴史まちづくり法」に基づく計画が、3月には国から認定を受けました。そうしたことを全部ひっくるめ、町全体のかたちを地域の活性化に結び付けてゆきたい。例えばその中の一つの素材としての醤油や、それから私どものこの建物とか、いまも現存している昔ながらの醤油の造り方とか、そういうものを織り込んでいこうと、それがいまの町の方針なんです。地域と行政が一緒に歩んでいこうと。湯浅は人間もいいし、今まで培ってきたものをいいかたちで残していかなければならないという想いが根底にあります。何で醤油造りをやっているのかと聞かれれば、一番には先人から受け継いだ伝統文化、そういった歴史を残したい、それが原動力です」と語ります。
 各地で輝いている逸品に光を当てたいという私たちの想いには、受け継がれてきた伝統製品を多くの方に発信することによって、それを生み出してきた地域が活性化して欲しいとの願いが込められています。
角長職人蔵
 加納さんが昔ながらの伝統製法を大切にする心も、醤油を育んできた町、湯浅の発展を願う郷土愛と深く結びついています。
 その願いを一つのかたちにしたのが、「角長(民具館)職人蔵」です。
 職人蔵の由来には「蔵の中で汗水を垂らした職人たち、その人たちの智慧の結集である醤油民具は醤油屋の消滅と共に消えて行った。私たちはいずれ消えてゆく、器具のいくつかを個人で集め残すことが、昔の味とともに湯浅醤油職人の責任と思って努力した」とあり、観光客に無料解放しています。
  慶応2年(1866年)に建てられた80平方米の「仕込み蔵」には、先人たちの汗と苦労が染み込んだ数々の器具が並び、そこには100年の時空を超えた世界が拡がっていました。

「角長」の秘密に迫る―歴史の恵みが雨のように降り注ぐ
1、無二の財産・蔵つき酵母
角長仕込み蔵
 天保12年の創業当時から代々受け継がれてきた角長の「醸造蔵」には、ある秘密が隠されています。
 170年近く使い続けてきた吉野杉の木桶が眠る蔵には、天井はもちろん梁(はり)や壁、床、桶など至るところに、醤油の醸造に欠かすことのできない「酵母」が白く付着しています。その酵母菌の働きによって、角長の醤油の味が生み出されてきました。
 こうした「蔵つき酵母」を職人たちは、「歴史の恵みが雨のように降り注ぐ」と語りながら、大切に守り続けています。まさに角長ならではの歴史が培ってきた、かけがえのない財産(宝)であり、美味しさの秘密なのです。
 その「蔵つき酵母」には、こんなエピソードがあります。
 以前、蔵の屋根の一部が傷んで、その部分の梁から全て改修したことがあったそうです。すると修理した個所の下の桶だけが、うまく発酵しなかったといいます。そういった経験から、残りの部分を修理するときは、昔からの天井を残し、その上の部分だけを新しくしたところ、以前と全く変わらず発酵したそうです。
 角長の蔵に宿る「酵母菌」は代々角長を支え、その味を守り続けてきた、いわば守り神のような存在なのではないでしょうか。発酵という自然の恩恵によってもたらされるこの世界には、人々の祈りとともに宿る力が存在するようです。

2、歴史を重んじる、こだわりの素材
醤油の原料
 「鮎が清流を遡るが如く究極の醤油を求めてきた」という角長では、醤油を造り出す原材料も各地に探し求め、優良な材料を使っています。
 角長の醤油の原料は、大豆、小麦、塩のみ。化学調味料や着色料、カビ止め剤や保存料、アルコール添加物などは一切使用していません。
 特に大豆には、こだわりがあるといいます。大豆は江戸期から伝わる角長の文献『萬買帳』の記載にもとづき、岡山産の「美作(みまさか)大豆」を使い続けています。国産にして、その栽培地も創業江戸期と変わらぬままのこだわりようです。小麦は岐阜県産で、仕込みに使われる塩水の塩は、オーストラリア産の天日塩(自然塩)を用いています。
 一般的に濃口醤油」は大豆5割、小麦5割と言われますが、角長の醤油は大豆6割、小麦4割で造られます。
 そして「仕込み水」には名水「湯浅山田の水」が使われています。湯浅の町を少し山の方に上がると山田川の源流へ辿り着き、そこは上質な水で有名なのですが、とにかく景色が美しく、「蛍の名所」としても有名だそうです。醤油発祥の地として名高い湯浅は、「仕込み水」に必要な上質な水が豊富にあったことで、醤油造りが盛んになったといわれています。

3、代々伝わる木桶をそのままに
吉野杉の大樽
 角長の伝統製法の特長は、昔ながらの製造設備を今も使い続けているところにあります。創業当時の吉野杉の木桶(江戸桶)を、170年近く経ったいまなお使い続けているのです。
 ただそうした木桶を造れる職人は、少なくなってきているといいます。特に桶を束ねている箍(たが)を造れる職人が、ほとんどいないそうです。
 「しっかりしたところが無くなる」という意味で用いられる「箍が緩む」という言葉がありますが、こうした伝統食品を生産するために必要な容器を手がける職人が少なくなってきたこと自体、日本人の箍が緩んでしまった証かもしれません。角長が守る伝統には、そうした深い意味が込められているのです。

4、昔ながらの「寒仕込み」と「手づくり」を守りぬく
角長の職人
 角長では冬季のみの「寒仕込み」を頑に守り、創業以来変わることのない昔ながらの「手づくり」を、いまも続けています。「美味しい醤油を造ること、それは昔の元へ元へと戻るやり方の継続だった」といいます。
 早く大量にということでの機械化は決してせず、「大量生産では味わえない天然の風味と、柔らかな香り琥珀色の色とつや、手づくりの丹精と約一年半の長期にわたる紀州の風土が育んだ濃厚で優しい味を多くの方にご賞味いただきたい」、それが角長の願いです。
 これだけ全てものが機械化され、さらなる効率化に向け走り続ける現代において、「手づくり」を守り通すことの難しさとそうした方々の想いに、心寄せてみてはどうでしょうか。日本はもうそれほど急がなくてもよいのかもしれませんし、それが自然な日本本来の姿なのではないでしょうか。

先人たちの味覚を呼び醒ましたい―700年前の醤油を再現
 歴史伝統文化を重んじてきた角長の5代目当主の加納長兵衛さんと6代目の加納誠さんが、「日本人の味覚を呼び醒ましたい」という職人魂で臨んだ大事業があります。それが歴史的な背景を忠実に再現し、700年前(鎌倉・室町時代)の醤油(湯浅たまり)を現代に甦らせることです。
角長の過去帳
 その「濁り醤」誕生について加納さんに伺いました。「試行錯誤を繰り返しながら、完成までに30年ほどかかりました。酵母の影響で濁った色をしているので、それなら『濁り醤(にごりびしお)』と名付けようということで命名しました。恐らく日本人が一番好きな味と香り」と語ります。
 「濁り醤」は圧搾(圧力を加え搾る)や保存のために酵母菌・麹菌を殺してしまう加熱処理もせず、2年以上丹念に熟成させながら余分な手は加えない、天然発酵で自然のままに仕上げています。そうして麹が原料を分解してできた純粋な上澄み(汁)だけを取り出した、酵母が生きている完全「生」しぼりの醤油を誕生させました。
 様々なものが入り混じった醤油の味に慣れ親しんだ現代人にとって、700年前の風味を醸し出す「濁り醤」の味にすぐ馴染めるかどうか、それは個人の味覚にもよるでしょう。しかしながら、その深い味わいを覚えてしまうと虜となり、手放せなくなってしまうのがこの「濁り醤」の特長なのです。なぜなら加納さんが語るように、私たちの先祖である先人たちが長い間愛してきた、日本人の味だからです。角長の匠が「濁り醤」を誕生させた願い。それこそ、現代の「日本人の味覚を呼び醒ます」ことに他ならないのです。
 その「濁り醤」を厳選された大桶で、もろみをさらに3年間じっくり熟成させたのが「濁り醤 匠」です。古の頃の真のひしおを求め、遂に辿りついた究極の品だといえます。これぞまさに「和の逸品」と呼ぶに相応しい深い味わいと芳醇な香りが醸し出されています。これは「角長」が創業170年を記念し完成させた、いわば「角長」の誇りです。
 この一滴には、先人の想い、職人の魂が詰まっており、その一滴一滴を味わいながら、伝統を守り支えてくれた先人への感謝と我が国の歴史のロマンに、想いを馳せてみるのはいかがでしょうか。また違った味わいが溢れてきますよ。

醤油がおかず、日本人の感性への挑戦!
 最後に加納さんに、今後の展望や醤油造りにかける想いを伺いました。
 「うちには『一業に徹せよ』という家訓があります。仕込み蔵やこの建物、製造設備など、受け継がれてきたものを頑なに守る、これをやり遂げるしかありません。そして『手づくり』で美味しいお醤油をお客さまにお届けし信用していただく、それこそが『生き残る道』だと思います。
 ただそこにヘルス(健康)を取り入れたい。添加物の無い自然なもの、それでいて美味しいものを。昔から言っているんですが、あつあつのご飯に『濁り醤』をサッとかけると匂いがプーンとする、それをそのまま食べれるような美味しい醤油を造りたい。
 以前テレビの取材を受けたとき、もろみを昔ながらの絞り袋に入れポタポタ落ちてくる汁をすくって、それをできあがったご飯にかけて食べてもらったらゲストが、『これは旨い!』って驚いていましたが、そういう醤油が造れるのではないかと。 日本人は味覚、臭覚、視覚など感性が優れていますから、プ~ンとした香りがあって、お米の湯気がパッと立って、それを口に運んだ時に美味しいと感じられるような想いを見出してくれるのではないかと思います。ただなかなか、ご飯に醤油だけをかけ食べてみてくださいとまではいえません。
 お米(ご飯)にも味がありますから、おかずは無しで、醤油の色合いから臭いから全部をひっくるめた総合的な味わいです。卵かけご飯は美味しいに決まっています、卵があるんですから。どんな醤油でも合うと思います。そうではなく、醤油そのものがおかず、そこにヘルスを取り入れ、健康的なもを造りたい。私どもの醤油は無添加なので、そうした点はちゃんとクリアしています」。
 「醤油だけでご飯を食べる」という独特な発想からは、伝統を守りつつも、常に高みを目指し続ける加納さんの匠の心意気と、日本人の感性を信じて止まない想いがひしひしと伝わってきます。
 ぜひ皆さんも、受け継がれてきた伝統によって角長が鎌倉・室町時代の醤油を忠実に再現した本格生醤油「濁り醤」を、炊き立ての熱々のご飯にかけ召し上がってみてはいかがでしょうか。「濁り醤」の醸し出す色合い、香り、そして風味が、皆さんの味覚を呼ぼ醒ましてくれるに違いありません。
(記事:洋一)


和の匠探訪記vol.4「ドライフルーツの匠」

匠の技に歴史あり。匠の腕に想いあり。和の逸品に匠の妥協なし。「和の匠探訪記」

ドライフルーツの匠

町田 和幸 さん

町田和幸社長

  • (有)玉井フルーツ店 社長
  • 長野県上田市中央
  • 主要な生産品:ドライフルーツ(国産無添加)
  •  


真田幸村の故郷、長野県上田市
上田駅外観
今回訪れた「和の匠」は、長野県上田市の中心街、上田駅から徒歩で数分のところで営業する「玉井フルーツ店」さんです。上田市といえば、平成28年のNHK大河ドラマ「真田丸」でも有名になった真田家の旧本拠地としても知られています。

 上田城見学や真田家ゆかりの地を巡る観光客でにぎわう市内の各商店は、真田家の家紋である六文銭一色です。
 様々な業種が様々な趣向を凝らして六文銭をモチーフにした商品を販売しています。雑貨類はもちろん、お菓子や洋服や飲食店のメニューまでもが六文銭の大合唱なのは何とも微笑ましい光景です。中には、ただ丸型を6つ並べただけ!と突っ込みたくなる商品もありますが、そこはご愛敬。

 そんな真田フィーバーの中、大通りの一角に玉井フルーツ店が控えめなたたずまいでお客様を迎えています。
 店内に入るや目に飛び込んできたのは、やはりこちらにもありました、六文銭の化粧箱に飾られたドライフルーツが。
真田幸村像
 ここまで地域ぐるみで「真田押し」を徹底している上田の人々の真田愛には感服させられます。そういった郷土の宝があることがうらやましくも感じられます。これからも熱い真田愛で地域を盛り上げてください!

 さて、店内には多種多様なドライフルーツが所狭しと置かれています。ナッツ類や外国産のドライフルーツなども置かれていますが、店の真ん中には「信州産」と銘打たれた大小のドライフルーツがたくさん陳列されています。
 和の逸品掘り出し隊の今回のお目当てはこちらの商品です。

 私たちがよく目にするドライフルーツといえば、アメリカやトルコや台湾などの外国産が主流ですが、玉井フルーツ店のこだわりは何といっても、原料から生産まで全て国産でまかなうことにあります。
 特に長野県は、ぶどうをはじめとした様々な果物の名産地としてよく知られており、豊富な種類と量の果物が県内で広く生産されています。
  玉井フルーツ店は、地元長野県の果物を中心に、今では、日本全国から美味しい旬の果物を取り寄せてドライフルーツを作っています。

玉井フルーツ店外観
 そしてもうひとつの重要なこだわりが無添加製法です。
 海外産などでオーガニック素材のドライフルーツを見かけることはありますが、無添加のドライフルーツをあまり目にすることはありません。それだけ製造が難しく流通量が少ないということなのでしょうか。

 国産果物を使用し、かつ無添加で作られる玉井フルーツ店の希少なドライフルーツ。
 ビタミンや食物繊維が豊富に含まれ、美容と健康に良いことから女性を中心に大人気のドライフルーツですが、これに安心と安全が加われば鬼に金棒のドライフルーツが完成しそうです。
  そんな玉井フルーツ店の町田和幸社長にお話を伺い、こだわりのドライフルーツの真髄に迫っていきます。

3代目として家業を継ぐ
玉井フルーツ店店内
 大型店の進出や都市部への人口流出など、時代の流れに伴い売り上げが伸び悩む中、先代から果物店を受け継いだ町田さんは打開策を模索します。
 考えついたのが、果物店を営んでいる強みと乾燥した上田市の気候という地域の特色を掛け合わせ、ドライフルーツを作って販売するということです。

 元来日本では、果物は生で食すものというのが大方でしたが、海外からドライフルーツが輸入されて市場に出始めたことで、徐々に国内で認知され始めたこともヒントになったようです。
 しかし当時は、国産のドライフルーツがほとんど存在しないといわれた時期で、新事業のために参考になる事例もほとんどなく、日々失敗の連続だったそうです。
  そこで町田さんはドライフルーツの本場である海外視察に活路を見出します。特にアメリカと中国では実際に生産現場に入らせてもらい、ドライフルーツ作りの習得に励みました。

 アメリカの現場では、巨額の設備投資をされた巨大プラントと、国土の広さを活かして大量生産された果物を原料に、工業力を駆使したドライフルーツが量産されていました。
 プルーンの木は地平線を覆うほどに生い茂り、実を大きな重機でたたき落とします。収穫されたプルーンは巨大で高価な種抜き機に入れられて加工されますが、その合理化された作業と規模には驚かされたそうです。
 中国では生産コストが安い大量のドライフルーツを生産していました。見上げるほど大量に積み上げられた果物に二酸化硫黄で防腐処理をし、人口の多さと低賃金の労働力を駆使した人海戦術で加工が行われます。

 こうした海外の現場を目の当たりにした町田さんは、人口も国土面積も果物の産出量もアメリカや中国より少ない日本で、それらと同じ生産方法を採用することができないことを痛切に実感します。
 日本でも実現可能な生産方法の確立という新たな問題に直面した町田さんのチャレンジが始まります。

良質な国産果物は無添加だからこそ美味しい!
インタビュー風景
 町田さんは、ドライフルーツをおいしく作る重要な要素は「甘さ」「酸味」「香り」だといいます。

 海外のドライフルーツは、使われる果物自体の味や風味の薄さを補うため、「甘さ」「酸味」「香り」を添加物によって補強し、見栄えを良くするために着色料で色付けしている品が多く、「果物をドライ化したもの」というより「お菓子」としてのドライフルーツが主流だそうです。
 確かに海外産のドライフルーツは甘みがとても強く、色もはっきりしているものが多い気がします。

 比べて日本の場合は、もともと果物本来の味が格段に良いため、その良さを活かしたドライフルーツを作ることが肝心だと町田さんは考えました。
 そのためには、既存のドライフルーツとは異なり、余分なものを加えない無添加で加工することにより、果物本来の「甘さ」「酸味」「香り」を引き出すことができ、国産ならではのドライフルーツができるはずだと直感します。

 海外産のマネをして下手に添加物を加えると、せっかくのおいしい国産果物が台無しになってしまう。日本人としての矜持と果物屋としての知識と経験が町田さんにそう思い至らしました。
 海外視察を経験するにつれ、地元の長野県をはじめとした国産果物が持つポテンシャルの高さを再認識し、国産果物への誇りとこだわりを強く持つようになりました。

 こうして国内初と言っても過言ではない無添加国産ドライフルーツの生産が開始されるのです。

難度の高い無添加へのこだわり
 添加物を加えてドライフルーツを作る理由のひとつに、保存性を向上させることが挙げられます。特に流通の面から考えると、消費期限が長いほうが業者は商品を扱いやすくなります。
ドライフルーツ集合写真
 また、海外の生産現場で体験したように、備蓄されて加工を待つ大量の生の果物を腐らせないようにするためには、添加剤で防腐処理をせざるを得ません。
 そういった理由もあり、保存料や酸化防止剤や防腐剤などを加工段階で添加する場合が多くなるのです。

 一方、玉井フルーツ店のドライフルーツは無添加にも関わらず2年以上の保存性を有することが専門機関の検査でわかっています。2年以上もの保存性があれば、わざわざ添加物で保存性を上げる必要がありませんね。

 そもそもドライフルーツは、生では傷みやすい果物を乾燥させることで保存性を良くした食べ物です。紀元前から非常食や保存食として珍重されてきたのも、美味しさや手軽さといった特長以外に保存性の良さもあったからです。

 また、包装技術の向上も品質の保持に大きく貢献しています。特に日本のパッケージングは精度が良く、食品の品質を維持させる素晴らしい性能を備えています。
 ひと昔前なら困難だった国産無添加ドライフルーツ誕生のかげには、名脇役の存在もあったのです。

 取材も終盤になり、町田さんから少しだけ企業秘密ともいえるお話を聞かせていただきました。
 美味しい無添加ドライフルーツを作るうえで特に注意を払うポイントは「糖度」と「水分」だそうです。
 ドライフルーツといえども、ただ乾燥させれば良いというものではなく、水分を細かくコントロールすることが重要かつ難易度が高い作業だそうです。もちろん果物の種類によってコントロールの仕方は異なってきます。湿度に注意しながら表面と中心部の味と食感を均一に仕上げるためのマル秘技術が完成するまで、かなりの試行錯誤を繰り返したそうです。

 ほぼ出来上がったドライフルーツは、最後の仕上げに独自の乾燥室(ムロ)で寝かせることによって味のカドが取れて深みが増し完成します。
 こうして出来上がったドライフルーツは最良の状態で包装されて私たちの手元に届くのです。

ドライフルーツでみんなを笑顔に
玉井フルーツ店看板
 ドライフルーツ専門店の開業から10年以上が経過し、地道に国産無添加ドライフルーツの普及に尽力されてきた町田さん。近年は得意先やリピーターも増え、ますます元気に活躍されています。

 そんな町田さんの経営理念が「細く長く」継続していくこと。果物生産者を大事にして支えあうことで、自分も含めた関係者全員が良くなる商売をしたいと語ります。
 長野県以外の果物の加工にも今以上に積極的にチャレンジしていくそうで、町田さんの噂を聞いた全国の生産者団体や自治体などが、その地域で生産された果物を持ち込んでくることも多いようです。
 元々、果物店の経営からスタートしている町田さんは、果物生産者の苦労や努力を身近で見聞きしていました。少しでも地域の生産者の助けになりたいという思いもあって始めたドライフルーツ作りなので、生産者に負担をかけない取引を心がけています。

 果物王国の長野県から始まった無添加のドライフルーツ作りは、和の心と技を融合させて今も躍進中です。
(記事:丸大)


和の匠探訪記vol.3「安納芋の匠」

和の匠探訪記タイトル

安納芋の匠

竹之内 和香 さん

安納芋の匠、竹之内和香さん

  • 竹之内農園 園長
  • 鹿児島県種子島
  • 主要な生産品:安納芋(JAS有機栽培)
  •  


安納芋とは
 蜜が豊富でねっとりクリーミーな食感と強い甘さから、「焼き芋に最適」と近年ブームになっている安納芋。
 その発祥については、第二次世界大戦後にスマトラ島北部のセルダンという地域から兵隊さんが種子島に持ち帰った1個の芋を、島内で栽培しはじめたのが安納芋の始まりだと言われています。
 その芋は糖度が高く、食味が良いことから、その栽培が種子島の安納地域から他地域に拡大したことにより、安納地域の名称を取って「安納芋」と呼ばれるようになりました。

種子島宇宙センター
 近年、その驚きの甘さとねっとりとした食感が大人気となり、平成元年に鹿児島県農業開発総合センター熊毛支場で優良品種の選抜育成に取りかかり、平成10年に品種登録されました。
 現在は栽培地が広がり、関東の千葉県あたりでも栽培されていますが、今回、本場の種子島の安納芋を食べてみて、甘みと食感の違いにびっくりしました。
 やはり種子島の気温、湿度、風、土、日光などの環境が安納芋に合っているのだと実感します。

いざ、種子島へ
桜島
 九州の南端、鹿児島県のシンボルである桜島の雄大な姿をのぞむ鹿児島湾の港から、高速船トッピーに揺られること約1時間半で、種子島の西之表港に到着します。
 美しい海と青い空。観光で大人気の屋久島のお隣に種子島はあります。
 南国情緒たっぷりの種子島で安納芋と並んで有名なものといえば、そう「種子島宇宙センター」です。
 私たち「和の逸品掘り出し隊」が訪れた日の二日前には、H2Aロケットによる気象衛星ひまわり9号の打ち上げに成功したばかりで、島内の目抜き通りには「祝打ち上げ成功」ののぼりがたくさん立っていました。ホテルの方曰く、昨日まではホテルも大盛況で大忙しだったそうです。
  現在、安納芋自体は種子島全域のいたるところで作られており、生産者もたくさんいらっしゃいます。
 しかし南国だけに害虫や病気も発生しやすく、ほとんどが農薬や化学肥料を農協の基準通りに使用して栽培されているのが実情です。
 これでは「和の逸品」とは言い難いです。
 そこで私たちは、「かごしま有機生産組合」の生産者一覧から種子島在住の生産者を一人一人あたって、有機栽培かそれに準じた栽培方法で安納芋を作っている生産者を探しました。
 そしてついに、有機JAS認定の安納芋生産者と出会うことができたのです。

安納芋の匠
 私たちが探し会えた安納芋の匠は、西之表市在住の竹之内和香(たけのうちかずか)さん(昭和9年生れ、現在82歳)です。
 竹之内さんのルーツは、鹿児島県川内市に属する甑島(こしきしま)にあり、今から130年前、竹ノ内さんのおじいさんが6歳の時に相次ぐ台風被害から逃れるために種子島に集団移住してきて、現在住まわれている国上(くにがみ)という部落を開墾されたのだそうです。
 今年、部落全体で移住130年記念会を開催されたとか。近所には今から30年前に建てられた「移住百周年記念碑」もあります。
 現在竹之内さんは、4町歩弱の農地を耕して、安納芋と米を作っておられます。
竹之内さんのJAS有機認定書
 当初から有機栽培の研究をされ、平成19年からは有機JASの認定を取り、害虫駆除への功労から表彰もされています。
 自家製堆肥はキビの締め粕、乾燥玄米、ぬか、もみ殻、牛糞などを混ぜて完熟発酵させたものを使用しています。
 私たちが「本物の安納芋を扱いたいので、ぜひ仕入れさせてください」とお願いすると「そうやって東京から何人も来たけど、品物送ったら金を払わんのが何人かおった。でも私はそういうのはもう請求もせんでほっとくんじゃ。いずれ回り回って天罰が下る。ひどいのは2トンも送ってそのままちゅうことがあったよ。そん時はちょっと腹立ったな」と笑って話されます。「だからホントはあんまりやりたくないんじゃけど、まあせっかく来てくれたからよかろう」といって取引をしてくれることになりました。「その代りちゃんと売って儲けてくれよ。そうじゃないとつまらんから」と優しい笑顔でおっしゃいました。
 現在、種子島でも有機栽培か無農薬・無化学肥料で安納芋を作っている生産者は数人しかいないとのこと。
竹之内さんの家族
 それもこれだけ多くの生産量をこなしているのは竹之内さんだけだと思います。
 それをご家族と少しのお手伝いの方だけで作業をされています。二男の幸二さん(昭和37年生れ)という後継者もおられて将来も安心です。
 「今年の出来は?」と聞くと「今年は最高だな」と即答。とてもいい芋が採れたそうです。
 11月は収穫直後なので堀りたてを出荷しますが、本来は温度と湿度を一定に保った保管庫でじっくりひと月ほど熟成させた方がぐっと甘みが増すらしく、これからが本当の旬になっていきます。
 デリケートゆえに収穫量があまり増やせない本物の有機安納芋。まさに「幻の芋」と呼ぶにふさわしい逸品を、ぜひ食卓で味わってみてください。
(記事:公大)

和の匠探訪記vol.2「椎茸の匠」

和の匠探訪記タイトル

椎茸の匠

齋藤 勇人 さん

椎茸の匠、齋藤勇人さん

  • 佐倉きのこ園 園長
  • 千葉県佐倉市
  • 主要な生産品:椎茸、干し椎茸(防虫剤、成長促進剤等不使用)
  •  


 秋の味覚の代表格といえばキノコ。和の逸品掘り出し隊では、旬の秋はもちろん、年中美味しいキノコを探してお届けしています。

 日本にはたくさんの美味しいキノコがありますが、数あるキノコの中でも人気ナンバーワンなのが椎茸ではないでしょうか。焼いたり煮たりして食べることはもちろん、ダシとしても使ってもその旨味は絶品で料理の美味しさを引き上げてくれます。

 そんな椎茸の中で、大人はもちろん、椎茸嫌いの子供でも美味しい!という評判の椎茸を作られている「佐倉きのこ園」の園長、齋藤勇人(さいとうはやと)さんを訪問し、お話を聞いてきました。


「椎茸嫌い」がスタート
佐倉きのこ園外観
 齋藤さんは佐倉市で米や野菜などを生産している農家の8代目で、お父さんの代から兼業農家に転じました。
 実は齋藤さんは大の椎茸嫌いだったそうで、椎茸を料理する臭いが家中に立ち込めるだけで、気が狂いそうになるほどの苦痛だったそうです。

 斎藤さんは当初、家業である農業には携わらずサラリーマンをしていました。そんな齋藤さんに転機が訪れたのが30歳の時、新聞のある記事が目に留まったことがきっかけでした。
 それは「椎茸の菌床栽培の画期的な技術」に関する記事です。
 椎茸嫌いだった齋藤さんが、椎茸の記事に注目したのには理由がありました。
 当時、佐倉市は都市開発が盛んで、盛んに農地が売却されて建設ラッシュに沸いていたといいます。需要が多かった建築資材を扱う商いをしていたお父さんは、養護学校の卒業生や知的障害者やお年寄りを従業員として積極的に雇用していました。しかし、そうした方々にとって建築資材を扱う日々の仕事はかなりの重労働で、負担も大きいものでした。
 改善方法が何かないものかと気にしていた齋藤さんは、この記事を見て椎茸の菌床栽培なら軽作業なので従業員の負担も少なくなるのではないかと思いつきます。
 障害者や高齢者の雇用環境改善のため、ご自身が大嫌いだった椎茸の栽培に目を向けたのです。
 そうした想いをお父さんに話したところ、お父さんはある一冊のスクラップブックを見せてくれました。そこには椎茸栽培に関する記事がビッシリと並び、「実は俺も椎茸栽培がしたかったんだ!」というお父さんの驚きの一言が。そこから親子二人三脚での椎茸栽培が始まります。

キノコの栽培風景
うまい!と唸った椎茸との出会い
 まずは栽培方法の勉強をしようということで、ある椎茸農家を訪ねました。実際に栽培している場所を見ると、とても薄暗くジメジメした感じで、これは環境が良くないと思ったそうです。お土産にいただいた椎茸を口にしてみても、残念ながら美味しいと感じませんでした。
 さらに何ヶ所か見学に行ってみましたが、結果は納得のいくものではなく、途方に暮れる日々でした。そんな中に訪れたのが、千葉県流山市の農園です。
 その栽培場は明るく清潔で、風通しもよく、まさに森の中にいるような環境の中で椎茸が栽培されていました。恐る恐る試食してみると驚くほど美味しく、椎茸嫌いの自分が椎茸に魅了されたのを感じたそうです。
 その時に、美味しい椎茸を栽培するうえで大切な3つの条件を農園の方から教わりました。
  • 1.新鮮は「空気」・・椎茸は酸素を吸って、二酸化炭素を吐くので、新鮮な酸素が必要
  • 2.適切な「温度」・・人間と同じ温度帯を好む。日中は温かく、夜は涼しい温度差が必要
  • 3.良質な「水」・・・・椎茸の80%は水分なので与える水が大事
 各地の生産者を見学し続ける中でようやく出会った椎茸栽培の秘訣。自然豊かな森にできるだけ近い環境こそ、椎茸の栽培には望ましいということを学んだ齋藤さんの挑戦がいよいよ始まります。それは平成6年、齋藤さん30歳の新たなチャレンジでした。

椎茸の栽培風景
天然水のみ。「長生き椎茸」
 生まれて初めて椎茸を美味しい!と感じた齋藤さん。この椎茸をどうしても作りたい、との思いで平成6年に「佐倉きのこ園」を設立します。
 ようやく完成した椎茸を市場へ卸すことからスタートし、齋藤さんが研究を重ねて作った「長生き椎茸」は、安心で安全かつ美味しいとの評判を呼び、市内30校の学校給食への供給など販売を拡大していきます。出荷量の増加に伴い設備も増設し、年間55トンの生産量にまで成長しました。
 「長生き椎茸」の栽培には、開業時に学んだ椎茸栽培に必要な「3つの条件」を盛り込んだ「5つの特長」があります。
1、森のような環境づくり
 取材に訪れたのは10月の夕方でしたが、それでも栽培場のハウスの中は明るく、風通しも良い環境でした。椎茸にとって心地よい、「森のような環境づくり」を常に心がけています。
地下水で洗浄中の椎茸
2、豊富で良質な天然水
 椎茸の80%は水分なので良質な水が求められます。佐倉きのこ園の敷地には井戸が掘られ、天然の豊富な地下水に恵まれいます。地下50mから湧き出る地下水は毎年検査を行ない、飲料水として認められるほどの良質な水です。
3、安心で安全な無添加栽培
 椎茸は野菜に比べても与えられたものを全て吸収してしまう性質のため、雨水や土壌などに不純物が混ざっていれば、それらをすぐに取り込んでしまうそうです。そのため、雨水はもちろん、殺虫剤などは一切使用せず、害虫駆除やカビを洗い流す場合も、スタッフが毎日手作業で行っています。
 また生育期間を短縮し椎茸の成長を促す成長促進剤も使用しません。成長促進剤に変わって活用されるのが、地下50mから豊富に湧き出る良質な天然水です。
 収穫後の菌床(椎茸を栽培する培地)を天然水に1日浸水させ、温度を変化させて刺激を与えることによって、次に菌床から出てくる椎茸の生育を薬剤などに頼ることなく、自然の恵みによって促すことができるそうです。
 「椎茸栽培は害虫とカビとの戦い」と言われるそうですが、手間暇惜しまぬスタッフの丁寧な手作業と自然の恵みである天然水によって安心で安全な椎茸の生産が行われています。放射能検査も定期的に実施していますが、検出されておりません。
佐倉きのこ園のおすすめいろいろ
4、菌床栽培
 菌床栽培とは、ブナ、ナラ、クヌギなどのおがくずと、栄養分として米ぬかを合わせたものを培養袋に入れて作った培地(菌床)を利用して栽培する方法です。培地(菌床)に植菌機で菌種を注入します。
 培地は小さな四角い建築資材のブロックのような形ですが、おがくずでつくられているためとても軽く、障害者向けの軽作業として齋藤さんが椎茸栽培に目を向けられたのもうなずけます。
5、巧みな菌まわし
 椎茸栽培は「菌床栽培」以外に「原木栽培」(木に直接菌種を植え付ける)がありますが、どちらがより美味しい椎茸ができるのでしょうか。聞きたかった疑問を齋藤さんになげかけてみました。
 齋藤さん曰く、椎茸の味に大きな影響を与えるのは栽培方法というより菌種(菌の種類)であって、菌種には夏菌、冬菌、中低温菌など様々なものがある。それらを季節に応じて見極め、使い分ける技術(菌まわし)が難しく最も大切で、「長生き椎茸」には、肉厚で甘みのある菌種を厳選して使っている、と教えてくれました。

特選干し椎茸
今後も生産量より質を大事に
 椎茸作りを始めて23年を経た今、齋藤さんに今後の抱負を聞いてみました。
 「これからも納得できる良い椎茸を作り続け、世に送り出していきたいという気持ちだけなので、生産拡大などは考えておりません。生産を拡大しますと、しっかりとした品質管理や栽培における菌種の調整が行き届かなくなってしまいます。手間暇をかけた安心・安全な生産には、これからもこだわって行きたいと思います。この美味しい椎茸を私たちが生産したんだという商品に対する自信がありますから、多くの方に「長生き椎茸」の味を知って欲しいと思います。」とにこやかにお話しいただきました。
 最後に、齋藤さんがおすすめする「長生き椎茸」の美味しい食べ方を教えていただいたので、皆様にお伝えします!

サッとあぶって塩味で!
1、椎茸は、石づき(ジク)を切り落とし傘とジクに分けます。
2、傘の内側を上に向けて焼きます。
3、椎茸のひだの面に旨味成分が水滴となって浮かび上がてきます。
4、水滴が出てきたら塩を振って旨味をこぼさないようにお召上がりください。
※石づき(ジク)も焼いて美味しく食べられます。手でさいて炒めたり味噌汁の具にしても風味よく召し上がれます。

 いかがでしたか?椎茸好きはもちろん、椎茸が苦手な方もぜひ一度、「長生き椎茸」をお試しください。もしかしたら椎茸が大好きになるかもしれませんよ。
 椎茸の匠・齋藤さんが辿り着いた、納得の「長生き椎茸」の美味しさと香りを、「匠が作った和の野菜 詰め合わせBOX」にてお届けさせていただきます。どしどしご注文をお待ちしています。
(記事:洋一)

和の匠探訪記vol.1「野菜の匠」

和の匠探訪記タイトル

野菜の匠

堀越 一仁 さん

堀越一仁写真

  • 農事組合法人 かんらん車 代表
  • 千葉県成田市
  • 主要な生産品:小松菜、人参、さつまいも、など(すべて無農薬・無化学肥料で栽培)
  •  


 昭和4年生まれの父の農業を受け継いだ2代目の堀越一仁さんは、千葉県成田市で無農薬、無化学肥料栽培の中心的存在として、日々、畑で野菜や土と対話しながら農業を営んでいます。

 堀越さんの畑があるこの地域は山の尾根(頂上)に位置する首都圏の中では寒冷地で、関東ローム層という良質な土壌と地下水に恵まれた自然環境の中にあります。
 近くには「多古米」で有名な多古町があり、昔から米や麦づくりが盛んに行なわれてきました。

 昭和30年代から成田空港建設で揺れた成田市で育った堀越さんは、高度経済成長に伴う食料の増産体制の中で、国の推奨のもとに大量に消費されていく農薬や化学肥料を使った近代農業に疑問を持ち、無農薬・無化学肥料の野菜作りを始めることになります。

 化学肥料は少量入れただけで大量の作物が収獲できるから、農家は収穫量を上げるために使用する。しかし、化学肥料を多く使用した作物を食べ続けると、人間がキレやすくなったり、アトピー性皮膚炎など健康面への影響が懸念される、と堀越さんは指摘します。

 また、作物が虫に喰われたからといって農薬を農地全体に散布する農家がいる。農薬に頼らなくても、虫が出た部分の作物だけを刈り取るなど、その部分だけで対処できる。虫が来るということは、あくまでもその部分の土壌の栄養バランスが偏り、過剰にチッ素が多いからだと説明してくれます。

 そんな農薬や化学肥料に依存しない、堀越流の農業を徹底取材してきました。

おいしい野菜は土作りから
堀越さんの畑
 堀越さんは徹底した土づくりにこだわります。
 野菜にとって堆肥はご飯、肥料はおかずのようなもので、人間と同じく、どちらかに偏らずにバランス良く野菜に摂取さすことが大切だと言います。

 ところで皆さんは、野菜(植物)に必要な栄養素とは何かご存知ですか?
 全部で16種類ほどあるそうですが、特に多く必要な栄養素がチッソとリン酸とカリウムです。簡単に言うと、チッソは葉野菜、リン酸は実野菜、カリウムは根菜にとってそれぞれ重要な栄養素です。

 堀越さんは年間を通して多種多彩な野菜を栽培していますが、葉野菜を多く作っているので、チッソの調整が重要なようです。
 チッソを肥料として与えすぎると、野菜が吸収しきれなかったチッソにつられて害虫が発生し、地下水などの自然環境も汚染してしまいます。
 チッソ肥料を与えすぎると害虫が発生するから農薬をまいて駆除し、再び窒素肥料を与えすぎるからまた害虫が発生し農薬をまく・・・そんな悪循環に陥ってしまう場合が少なくないそうです。

 だからこそ堀越さんは、まずは良い堆肥を自家製で作って余分な窒素を畑に入れず、野菜自身の生育力を促して抵抗力を増進させることで、ミネラル分が豊富で旨味が凝縮された無農薬野菜を作り出しています。

 野菜は土から栄養分を吸収して成長するので、畑の中の栄養バランスが変化し、偏ってしまうことがあります。そこで堀越さんは頻繁に土壌の栄養分をチェックし、足りない栄養分のみを堆肥や有機肥料で調整し野菜にとって最適な畑の土づくりをしているのです。
 自然を尊重し、自然の力を借りて野菜を育てていく、日本流の適地適作ですね。

有機野菜だからといって安心できない
 堀越さんは農薬や化学肥料を全く使用しない作り方です。
 ところで皆さんも普段、有機農法や有機野菜という言葉をよく耳にすると思います。有機農法は農薬や化学肥料を極力使用しないため、有機野菜といえば安全・安心と思われる方が多いと思います。

 そんな有機農法について、一概に有機といっても、必ずしも全てが安全とは限らない。野菜はチッソがないと育たないが、未熟な堆肥を使用した場合、堆肥の腐敗によって、かえってチッソ分を多く含んだ野菜が育ち、そのチッ素分が身体に悪い影響をもたらす恐れもある。だから有機といった言葉に惑わされることなく、微生物の力で堆肥をしっかりと熟成させている農家が作った野菜なのかどうかを見極めることが何より大切だ、と堀越さんは指摘をします。

 消費者の皆さんが農家を見極めることは困難でしょうから、私たち販売者に向けられた言葉なのでしょう。

 堀越さんの堆肥は発酵と熟成がしっかりとされているため、臭いもきつくなく、手を入れると少し熱いことに驚きました。
 長い経験と研究によって培われてきた堀越さんの堆肥づくりの技は各方面から注目を集め、その堆肥を求める声が後を絶たないというのも納得です。

安心・安全への妥協なき挑戦
豊かに実った堀越さんの畑
 そうした堀越さんの安全へのこだわりは、チッソに限られたものではありません。
 消費者へ安心・安全な農産物を届けるため、福島の原発事故以後は放射能の定期的な測定も心がけています。
 特に事故直後は放射能を頻繁に測定したそうですが、堀越さんの畑や農産物からは放射能が検出されることはなかったそうです。
 地域の農家の中には放射能が検出されたところもあるようで、その違いを堀越さんは、有機農法には微生物などによって放射能を分解する力が備わっているからではないだろうか、と語ります。

堀越農業の未来
 堀越さんは現在、農業に携わる後継者の指導と育成にも力を入れています。
 経済的にも働いた分だけきちっと収入を得ることができる「食べられる農業」を確立しないと将来の農業者は育たないという信念があるからです。
 また、おいしくて安心で安全な野菜を作り、消費者に食べて喜んでもらうという「つくる喜び」を、農業に携わる者たちが感じられる農業にしなければならないと熱く語ります。

 堀越さんが代表を務める「農事組合法人 かんらん車」は、無農薬や有機栽培を志す若手農業者を集めて1998年に結成されました。成田市とともに循環型農業を推進し、官民一体となった大きな広がりを見せはじめています。

 野菜の匠・堀越一仁さんが作る野菜は、野菜本来の旨味が凝縮され栄養分も豊富で安心かつ安全な和の逸品です。
 堀越さんが丹精込めて育てた野菜を「和の逸品掘り出し隊」では「匠が作った和の野菜 詰め合わせBOX」を通じて皆さまにお届けしていますので、ぜひご堪能いただきたいと思います。
(記事:丸大&洋一)

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匠の技に歴史あり、匠の腕に想いあり、和の逸品に匠の妥協なし

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